气球呵护协会
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《因为登pia太麻烦了容我备份一下》

Text:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)
Photo:八尾武志


── 作曲の手法へのこだわりってどんなところにあったのですか?
須田 当時は、ドラムしかわからなかったのですが、作曲をはじめてからドラムへの熱意が一気に冷めちゃったんですよね。それで、ドラム機材を全部売ってしまいました。しょうもないスペックのパソコンしか持っていなかったので、新たにパソコンと作曲のソフトとギターを買いました。で「そもそもコードとはなんぞや」みたいな所から、ネットで調べながら手探りで。
── ソフトはどんなものを使っていたのですが?
須田 もうずっとCubase(MIDIシーケンサ及びデジタル・オーディオ・ワークステーション の機能を持つ音楽制作ソフト)ですね。
── そこで、ネットで情報を調べている中でボーカロイドに出会ったと? 
須田 ボーカロイドというソフト自体は高校生の頃から知ってはいたんです。当時、ニコニコ動画でゲーム実況ばっかり観ていた時期があって。そこで、もうひたすらに叫びながら、ホラーゲームのゲーム実況をする方が、ある日突然“歌ってみた”をやられて。それで「“歌ってみた”、ってなんだ?」と思い、調べたらボーカロイド楽曲のカバーだったんです。なので、そんな文化があることは知っていました。
── なるほどねぇ。そこから、どうやってボカロ・カルチャーへ? 
須田 なので、バンドマンではあったのですが、いわゆる偏見や抵抗は一切なかったんです。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどロックが好きだったりしても、『いいものはいい』と思っていたので。
── 当時、ボカロ系で人気があった曲もロック色が強かったですよね。
須田 そうですね。単純にいい曲が多いなって思っていました。それで、曲を作りたいというスイッチが入ったんですよ。ドラマーって、人によってはコーラスも歌ったりするじゃないですか? でも、僕はコーラスすらやったことがなかったんです。そもそも歌うという発想自体が自分の中に無くて。でも、いざ曲を作るとなっても近くに仲がいいボーカリストもいなくて、歌を他人にお願いすることもできず……。となると一番好き勝手に出来るのはボーカロイドだなって。
── 周りでボカロで曲を作っていた人はいたんですか? 
須田 当時はいなかったですね。ネットと教則本で調べつつ。
── それで、曲を作って発信して、ボーマス(THE VOC@LOiD M@STER)やM3など、手売りCDの即売会にも参加したり?
須田 そうですね、ふわっとですが世界が広がりました。
── そこでいうと、須田景凪最初のライブ、渋谷WWW『須田景凪 1st LIVE "Quote"』(2018年3月16日)でのベーシストはボカロP有機酸=神山羊さんでしたよね? 当時からのご縁で?
須田 そうですね。彼が唯一仲がよかった音楽の友達でした。もともとお互いの曲をネットで聴いてはいたんですよ。それこそ切磋琢磨しあってきた仲ですね。
── 須田さんや神山さん、ボカロPの世代的にはどの辺になるんですか? ヨルシカのn-bunaさんとかはちょっと前?
須田 そうですね。でも、当時そんなに知り合いは多くなかったんですよ。
── ボカロP出身で有能なアーティストが増えている昨今、“ネット発アーティスト”ってシーンとして括られがちだったりするじゃないですか? でも、今やどんなバンドマンもネットをツールとして使っているし、そこは壁が壊れてきていますよね?
須田 たしかにそうですね。ネット発という括る表現って難しいですよね。みんなYouTubeを使っているし。逆にこれからの時代、ネット発じゃない人たちっているのかなあ?と思ったりもしています。 
── 違和感ありますよね。そんな意味では、須田さんはバンド出身でありながら音楽のアウトプットの仕方が変わって世に出てきた第一世代でもありますよね?
須田 逆算してみるとそうかもしれないですね。
── そんな中、現在神山羊として活躍する有機酸とはかつてスプリットで作品『facsimile』も一緒に出してましたよね。今それぞれ活動をしている中で、ライバル感などありますか?
須田 もちろん。お互い音楽をやっているので負けないぞって気持ちはありますけどね。でも、ライバルってよりは友達かなあ。
── 素敵な関係性ですよね。ちなみにニコニコ動画って再生回数やコメント、他者からの視点で作品が磨かれて行くような感覚を持っているんです。作者としてはオープンに批評に晒されるというか。でも、それがゆえに客観視できたことで成長スピードが上がるのかなって。
須田 あぁ、どうかなぁ……。それは人によりますよね。もちろんそれで成長できた部分もあると思いますし、そうじゃない部分もあるかな。
── となると、須田さんの中での作家性のモチベーションは、第三者の目線よりも自分の中でやりたいことを表現したいという欲求が強かった?
須田 そうですね。そこは大事なところかもしれません。


── となるとボカロP、バルーンとして最初にリリースした『apartment』(2015年4月26日)や『Corridor』(2017年8月23日)というアルバム作品は、今振り返ってみるといかがですか? 
須田 聴いてくださったらわかると思うんですけど、今となっては作曲のいろはが少しずつわかってきたのですが、当時はまだまだ手探りでしたね。何もわからないまま、理論的にはめちゃくちゃな部分も多いんですけど、ひたすら作っていることが楽しかったことしか覚えていないですね。今でもライブでやることもある、気に入っている作品もあります。
── 『Corridor』では「シャルル」、「メーベル」、「レディーレ」という現在でも人気の強いナンバーを、ボーナストラックとしてセルフカバーされていました。ある種、須田景凪のプロトタイプがここからはじまりましたよね。自分で歌唱されたのはなぜ?
須田 もともと「シャルル」の前に、1st EP『Marble』(2017年5月17日)で「花瓶に触れた」、「朝を呑む」という曲があってセルフカバーはそこからやってはいて。ひっそりと出してはいて。当時から歌うことは好きだったんですよ。で「シャルル」も歌って、たくさんの人に聴いて頂くことができて。それと同時に、ボーカロイドって単純にボーカロイド作品だけの世界ではなく“歌ってみた”とか二次創作が盛んな文化なんですね。それも意識しながら作るんですよ。となると、ひたすら自分が作りたいものを作るのとは違うチャンネルにも入るんですね。それを混同してしまうのは音楽を作る上で健全ではないなと思ったんです。それで活動として分けた方がいいかな、と思いました。
── なるほどね。バルーンとしての活動、須田景凪としての活動の分岐点ですね。でも、バルーンとして「シャルル」という大ヒット曲が生まれ、10代〜20代前半へ向けて広がっていくという瞬間でもあり。カラオケJOYSOUNDでのランキングで年間上位に入るなど、とても大きな現象になりましたよね。
須田 いや、これが正直、びっくりするくらい実感がなかったんです(苦笑)。久しぶりにカラオケに行った時に、隣の部屋から「シャルル」が流れてきて「あ、本当に歌われているんだ!」って実感が湧きました。
── いま、音楽を知る場所ってネットで検索だと自分が好きな分野しか掘り下げられないけど、カラオケって他者と時間と場所を共有するところなので、意外と自分が知らない曲を知ることができるメディア体験になるんですよね。そんな意味でも「シャルル」は曲の良さが一人歩きして拡散されていったのかなと。
須田 そういうところはあるかもしれないですね。嬉しいことです。
── そういえば、ボカロカルチャーって「シャルル」がリリースされる前ぐらい、それこそ細分化が進んで一旦流行りが止まったように見えたタイミングありましたよね?
須田 2014年〜2015年ぐらいですかね? 
── そこで、いわゆる大人の人たち、レコード会社のA&Rやスカウトマンなど一旦引いてしまった時期があったと思うんです。でも、そこで「シャルル」のヒットって、大人が知らないところで広がって行った状況は痛快だったなと思って。
須田 当時から、ボカロ文化が衰退したとは全く思っていなくて。でも、それまで有名だった人たちがいっせいに外へ出て行った瞬間はありましたよね。ハチさんだったりwowakaさんだったり。でも、その後も僕や有機酸(神山羊)、n-bunaくん、ぬゆりくんとかいっぱいいたんですよ。当時から素晴らしい音楽を作っている人たちがいたことを知っていたので、単純に偏見が起きたこと自体はあまり気にしていませんでした。

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